商品誕生の秘話

2021/03/15

きのこ栽培システム

商品誕生の秘話~きのこ栽培とともに半世紀~

私たち株式会社ニッポーは湿度調節器、超音波加湿器、CO₂濃度コントローラなど、きのこ栽培に適した環境を作るための機器を開発・製造・販売しています。
中でも、超音波加湿器「霧風」は「メンテナンスが簡単!壊れにくい!」と好評で、きのこ業界ではトップシェアを誇ります。(※自社調べ)
「きのこ」と言っても色々な種類があります。えのき、まいたけ、しいたけ、ぶなしめじ、はなびらだけ、きくらげ、マッシュルーム、エリンギ、あわびだけ等。
ニッポーの機器はこれら人工栽培可能な全てのきのこに対応しています。現在、ニッポーが自信をもって“きのこ栽培機器のスペシャリスト”と名乗れる理由は、その長い歴史の中にあります。
ここからは当時を知る社長:若槻、顧問:田部、総務課係長:藤原の3人のインタビュー形式で ニッポーが歩んできた「きのこ栽培の歴史」をご紹介します。

ニッポーがきのこ栽培用機器を作り始めたきっかけ

Q.きのこ栽培用機器を作り始めた経緯を教えてください。

ニッポーがきのこ栽培用機器を作り始めたきっかけ

<若槻>:
半世紀前(1970年代)にエノキタケの人工栽培が始まったことがきっかけでした。
エノキタケは栽培の性質上、温度は低く、湿度は高く保つ必要がありました。そのため当時は“馬の毛を使った湿度計”を見ながら、こまめにお湯を沸かしたり、床に水を撒いたりしながら、手動で湿度を調整していたのです。大変だし、手間がかかるし…。当然「湿度調整を自動化したい」の声が増えていきました。
そこで、当時 日本専売公社に採用されていた「乾湿球式の湿度調節機能」(葉タバコ乾燥機に必要な湿度調節の機能)がきのこ栽培にも使えるのでは?と思い、作り出したのが「湿度調節器HCシリーズ」でした。


<田部>:
発売したらすぐに話題になったんですよ。「湿度調節器 HC」は乾湿球方式なので、他の方式に比べて高湿度といった悪環境での湿度管理に最適!
耐久性も、コストの面でも優れていました。(※きのこを栽培する環境は湿度を95%くらいに保ちます)
次に作ったのが超音波加湿器でした。高湿度の環境を作るためには加湿器が欠かせません。

ニッポーがきのこ栽培用機器を作り始めたきっかけ

<田部>:
もともと、製パン機械用に開発していた超音波加湿器ですが霧化量が少なかったため、きのこ栽培用に6型(霧化量約3.4L/h)の加湿器を作りました。
これが最初のきのこ栽培用 超音波加湿器(霧風)です。きのこの栽培環境を作るために必要な湿度調節器(HC)と超音波加湿器(霧風)が揃ったため「きのこ栽培をやってみよう!」と先代の社長が発案したのです。


出雲横田きのこ園を設立~島根県横田町の特産品が誕生~

出雲横田きのこ園を設立~島根県横田町の特産品が誕生~

Q.出雲横田きのこ園について教えてください。

<若槻>:
島根県仁多郡横田町(現在は町村合併により奥出雲町)で、きのこ生産農家が廃業することになったため、その施設や土地を買いバイオ実験場として「出雲横田きのこ園」を設立しました。(昭和59年)
当時、出雲横田きのこ園では最も栽培が難しいとされていた「マイタケ(舞茸)」を選び、栽培しながら、機器の性能アップや使い勝手の研究、不具合や耐久性の検証、栽培技術の確立を目指しました。
<田部>:
夜、湿度や温度が変わったら警報が鳴るように、電話通報装置「テレモ60」を作りました。
自宅に受信機を置いて、警報が鳴ったらきのこ工場に駆けつけるんです。クラウドシステムの先駆けですね。
当時では大変珍しいシステムでしたので、興味を持ってくださった方々が施設の見学に来られました。


Q.出雲横田きのこ園で作っていたマイタケが横田町の特産品になったのですか?

出雲横田きのこ園で作っていたマイタケが横田町の特産品になったのですか?

<田部>:
当時、横田町(現:奥出雲町)は新たな特産品を模索していました。
そんな時、町内でマイタケ栽培を行っていることを聞きつけた役場の担当者から「マイタケとは珍しい!これを横田町の特産品にしたい!」と協力の依頼があったんです。
そうして、横田町とニッポーが共同出資してマイタケを作る「有限会社奥出雲サンマッシュ」という第三セクターの会社が設立しました。


Q.栽培していたきのこはどうしていたのですか?

<田部>:
最初は近隣住民や従業員に配っていました。
良質なマイタケが栽培できるようになってからは、広島や大阪の青果市場や、仲卸業者、地元のスーパーにも出すようになりました。鮮度が落ちないように、袋に空気を詰めて風船みたいにまん丸に梱包して。
<藤原>:
そうそう、風船みたいな形でした!販路を見つけるのはとても苦労しましたよ…
<若槻>:
きのこを作ったあとには、販売する苦労があります。市場に行って、「島根県産のマイタケです、買ってください」と営業していました。
時には大阪まで出向く事もありました。
市場だけに頼ると相場価格になってしまうので、当時の担当者は「赤字だ~」と嘆いていましたよ。


Q.当時のマイタケの評判や、販売していて苦労した事を教えてください。

<藤原>:
当時、マイタケは珍しいきのこだったので人気がありました。
しかし、朝取りのマイタケは流通の面で苦労しました。とくに販売していた広島や大阪は温度が高い地域なので、品質や鮮度を保つ事も課題で…。大きな宅配業者ではなく、身近な業者や地元の運送会社へ依頼し、その日の夕方もしくは翌日早朝までに届けていました。“いかに早く届けるか”が勝負でしたから。

あと、西日本ではマイタケの食べ方を知らない人が多かったため、試食販売もやっていました。イベント会場や市場に行って、天ぷらを作りしながら販売しましたよ。今では良い思い出です。

続:超音波加湿器が出来るまで

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